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映画「大統領の執事の涙」の真実 2


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大統領の執事の涙

lee-daniels-the-butler 34年間ホワイトハウスで 7人の歴代大統領に仕えた執事ユージン・アレンの生涯を描いたもので、真実に着想した物語。それぞれの大統領の個性も表現されていて面白い。

セシル・ゲインズの生まれ

1926年、主人公であるセシルは、ジョージア州メイコンで綿花農場で働いていた。セシルは父親を綿花農場の地主に殺されてしまう。当時、白人が黒人を殺しても罪に問われない世の中だった。

メーコン

アメリカ南部に位置し、白人が経営する綿花農場が多くあり、18世紀頃よりアフリカから奴隷として連れて来られた多くの黒人がメーコンを中心とする南部で働かされていた。南部は長い間、奴隷制度維持を主張していた。

父親が殺されたことが切欠で農場働きからハウスニガー(家事使用人)となる。「ニガー」という言葉が映画内でも差別用語として多く発せられる。セシルの長男、そしてセシル自身も「ハウスニガー」という言葉(仕事)に屈辱を感じているように思った。 農場を離れたセシルは、ある黒人の元で給仕を習う。そして、その男の推薦により、ワシントンDCの高級ホテルで働くこととなる。ホワイトハウスの事務主任ウォーナーにその働きぶりを認められて、1957年、ホワイトハウスの執事となる。最初に仕えたのはアイセンハワーであった。

1957年アイゼンハワー大統領とリトルロック高校事件

ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー

第34代アメリカ大統領 任期1953年-1961年

アイゼンハワーは親しみやすい大統領である。その様子も映画内でも表現されている。アイゼンハワーはリトルロック高校事件ではやむを得ず軍隊を派遣した。「初めて白人が黒人を守るために動いた」とセシルは言う。

リトルロック高校事件

1954年、公立高校での白人と黒人の分離教育が違憲となり、同じ学校に通う融合教育化が進められるようになった。しかし、アーカンソー州知事や地元の白人はリトルロック高校に黒人が登校することを阻止した。リトルロック市長がアイゼンハワー大統領に軍の派遣を要請、メディアの注目をあぶる中、黒人は護衛付きで登校した。

票集めに余念がないニクソン副大統領

また、アイゼンハワー政権の副大統領はニクソンであった。ニクソンは、執事にケネディの悪口を言い、要望を聞き、票集めに余念がない様子を表している。 セシルの長男ルイスは、フィクス大学を選んだ。ルイスは「エメット・ルイス・ティル事件」に興味を持ち、人種差別撤廃運動に共鳴していく。セシルはルイスが南部の大学に行くことに反対だった。

1960年ルイスは人種差別撤廃運動に共鳴

エメット・ルイス・ティル事件

1955年、エメット・ルイス・ティルという14歳の黒人少年が白人男性に惨殺されるを「エメット・ルイス・ティル事件」といい、のちに公民権運動に影響を与える事件となる。エメット・ルイス・ティルはシカゴの少年。北部であるシカゴは南部と違い、強い差別意識がなかった。そんな少年が南部に訪れ、事件に巻き込まれてしまう。加害者は白人であったがプアホワイトと呼ばれる人らで差別意識が高い人たちだった。

フィクス大学

1866年に創設された歴史的黒人大学

1960年、ルイスはフィクス大学で公民権運動の研究会に参加し、非暴力的に訴える座り込み運動、つまり白人専用席に座り込む運動に参加し逮捕される。

白人専用席と座り込み運動

白人専用席

1964年まで存在した南部の州法、白人による黒人の人種隔離制度「ジム・クロウ法」のひとつで、レストランやバスなどでは白人と有色人種の席が分けられていた。

シット・イン

1960年に始まった白人専用席に座り込む運動で、15都市で5万人が参加する大規模な運動となる。

大統領の執事として白人の近くで働くセシルと、公民運動に傾倒していく息子との間で認識の違いがありぶつかり合う。息子に「世の中をよくする白人に仕えている」と言うセシルは、大統領が黒人のために動いていると感じている。 1961年、ケネディが大統領となる。

ジョン・F・ケネディ

第35代アメリカ大統領 任期1961年-1963年

ルイスはフリーダム・ライドに参加

ルイスはフリーダムバスに乗り南部を目指すが、途中、KKKにバスを爆破される。

フリーダム・ライド

公共機関の人種差別撤廃を求める黒人と白人の若者が長距離バスに乗ってワシントンDCから南部に向かう運動。途中爆破など様々な攻撃を受ける

KKK(クー・クラックス・クラン)

KKKは白人至上主義団体。白装束で頭部全体を覆う三角白頭巾を被りつつデモ活動を行う集団として世間で認知されている。南北戦争終結後の1865年に設立され、白い布で作った衣装を着て黒人の居住区をめり歩く程度のものだったが、徐々にエスカレートしていき、民主党最右翼の人種差別過激派として保守的な白人の支持を集め始めていく。その後崩壊と誕生を繰り返す。 公民権運動によって危機感を持った者たちによってKKKは復活するが、白人至上主義団体の乱立によりKKKの力は弱まった。

1963年ケネディ大統領の公民法案と射殺

ケネディは、公民権運動を行っているルイスらデモ隊が、警察に排除されている姿を見て心を動かされる。ケネディはセシルに「彼らの姿を見て考えが変わった」ことを話す。 ケネディは人種対立の炎が上がり政治が機能していないと訴え、公民法案を提出した。

その直後、ケネディは射殺される。 セシルはケネディの死に大泣きする。ケネディの夫人ジャッキーは、ケネディが撃たれたパレード中に着ていたピンクのシャネルのスーツを翌朝まで着ていた。夫人は大統領に起こったことを人々に見せるために、血の付いたスーツを着続けたのだ。 1963年、ジョンソンが大統領となる。

ジョンソン大統領と平等な投票権

リンドン・ジョンソン

第36代アメリカ大統領 任期1963年-1969年

キング牧師とマルコメX

ルイスはキング牧師と活動を共にする。キング牧師は穏健派であり、非暴力主義であった。地道な公民権運動の成果、ジョンソン政権で公民権法が制定される。キング牧師はルイスの父「執事」という仕事についても「黒人像を変えた、彼らは戦士だ」と話す。マルコメXは黒人解放運動の中でも過激派で、「ハウスニグロ」を批判していて、キング牧師とは対照的であった。

1965年、キング牧師はセルマまでのデモ行進を行ったが、無抵抗なデモ隊は保安官達の攻撃を受け、報道機関の前で血だらけで倒れた。血の日曜日事件と呼ばれ、この事件が報道されたことにより、公民権運動を後押しする形となった。

1968年キング牧師暗殺、ルイスはブラックパンサー党へ

キング牧師が暗殺され、各地で暴動が起きる。ルイスは「黒人のためのブラック・パワー」をスローガンとして挙げているブラックパンサー党で活動していた。

ブラックパンサー党

黒人の政党であり、1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織である。非暴力主義には批判的であったが、キング牧師個人には尊敬の念を抱いていた。

セシルはルイスと映画「夜の大走査線」について口論となる。ルイスは、シドニー・ポワティエについて「白人の好きな黒人だ」と非難する。

夜の大走査線

人種差別が厳しいミシシッピ州にある小さな町で起きた殺人事件と偶然捜査に参加するようになった腕利きの黒人刑事、そしてことごとく捜査に対立する白人の人種差別的な町の警察署長と、その捜査の様子を白い目で見ている住民たちの緊迫した対立の関係には当時の公民権運動の緊迫感をも感じ取ることができる。

シドニー・ポワティエ

1963年の社会派作品『野のユリ』におけるアカデミー主演男優賞及びゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)受賞という歴史的快挙に結実する。同胞である黒人たちからは、「ショーウィンドウの中の黒人」とも揶揄された。ポワチエの演じる「黒人」像とは、あくまで白人が望む「素直でおとなしく、礼儀正しい黒人」だった。

ジョンソン大統領は平等な投票権を訴える。セシルの次男チャーリーは「刑務所に入るよりましだ」とベトナムに行く決心をする。 1969年、ニクソンが大統領となる。

ルイスは政治家へ

リチャード・ニクソン

第37代アメリカ大統領 任期1969年-1974年

ベトナムでチャーリーが戦死する。ルイスはブラックパンサー党の集会に出席するが、その内容が暴力的であることに反感を持ち党から離れ、大学で経済を学び修士号を取る。その後、下院議員選挙に出馬し落選する。その頃ニクソンはウォーターゲート事件で追い詰められていた。 フォード大統領、カーター大統領、1986年レーガン政権となる。

ジェラルド・R・フォード

第38代アメリカ大統領 任期1974年-1977年

ジミー・カーター

第39代アメリカ大統領 任期1977年-1981年

ロナルド・レーガン

第40代アメリカ大統領 任期1981年-1989年

レーガンとアパルトヘイト

セシルはウォーナーに黒人の昇給と昇格を申し出る。レーガンの協力で昇給と管理職への昇格が実現し、セシルはその功績で大統領出席のパーティーに夫人とともに招待される。 レーガンは南アフリカのアパルトヘイトを支持していた。「議会が南アフリカへの経済措置の法案を可決すれば。拒否権を行使する」と言う。

アパルトヘイト

南アフリカ共和国ににおける白人と非白人の諸関係を規定する人種隔離政策

1986年、ネルソン・マンデラが23年目の獄中生活を送っていた頃、アメリカではようやくアパルトヘイト撤廃に向けて政治が動き出していた。米連邦議会に、アパルトヘイト法の撤廃、南アへの経済制裁や渡航制限の撤廃、マンデラやアフリカ国民会議(ANC)のリーダーを含む政治犯の釈放などを求めた包括的反アパルトヘイト法が採決にかけられていた。

法案は超党派の賛成多数で可決されるかに見えたが、時の大統領ロナルド・レーガンが大統領拒否権を行使する。社会主義を標榜する武装組織であるANCを支持することはできないというのが理由。

パーティーに客として出席したセシルは給仕される側になってみて初めてわかったことがあった。執事は白人向けの顔と2つの顔を持っているということである。そして、アメリカは他国の歴史についてあれこれ口出しするが、自国のことは目を瞑っている。強制終了所が良い例であると。アメリカでは強制収容所と同じようなことを200年間も続けてきたのだと。

そしてセシルは辞職する。 数々の書物により、息子ルイスは犯罪者ではなく、アメリカの良心のために戦ったヒーローだったと知る。 2008年、オバマが大統領となり、その放送を見ていたセシルは「こんな日が来るとは」とルイスと涙する。オバマは、黒人差別の歴史から誕生した初の黒人大統領であった。

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2 thoughts on “映画「大統領の執事の涙」の真実

  • いごっそう612

    「大統領の執事の涙」自分も観たことあります!
    これもTSUTAYAだけじゃなかったっすかね?
    しかし、まあすごく作りこまれたブログですね~凄い!
    色々な情報があって感心しました(*‘∀‘)