1995年公開
脚本は、ピレッジがカジノに関する本を書くため5年に及ぶ取材で得た資料を基に、スコセッシとピレッジが共同で執筆。ピレッジは脚本と同時進行で、原作のノンフィクション『カジノ』(邦訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を書き上げた。
1970年代~80年代のラスベガスのカジノを関係者への取材を基に描かれたもので殆どが実話に基づいています。
エースのモデルとなった人物はフランク・”レフティ”・ローゼンタールというラスベガスのカジノギャングです。
1929年シカゴで生まれ、スポーツ賭博に精通し、1950年代半ばまでマフィアChicago Outfitで働きます。複数のスポーツ贈収賄罪で共謀者として起訴されるとマイアミに運営を移します。
1963年、ニューヨーク大学の選手への賄賂の疑いなどで警察やFBIに目を付けられており、警察の注意から逃れるために1968年にラスベガスへ移ります。
マフィアChicago Outfitの支配下、ラスベガスのカジノホテル、スターダスト、フリーモント、マリーナ、ハシエンダで働き、スポーツの結果を賭けることができるスポーツブックをカジノ内に併設します。
スターダストは世界でも有数のスポーツギャンブルセンターとなり、主人公であるローゼンタール(エース)は1年でスターダストの売り上げを倍増します。
1976年、ライセンスなしでカジノで仕事をしていたことが当局に知れ、ローゼンタール(エース)は法的にライセンスを取得する公聴会を開催しますが、少年時代のシカゴの仲間アンソニー・スピロトローや評判により、ライセンスを取得することができませんでした。
1982年、ローゼンタール(エース)が車のエンジンをかけようとしたところ、車が爆発。車は特別の金属板を装着しており、ローゼンタール(エース)の暗殺は失敗に終わります。
ミルウォーキーの犯罪組織のボス、フランク・バリストリアーや幼馴染のアンソニー・スピロトローらが容疑者でした。
カリフォルニア州ラグナニグエルに移り住む。
1987年、ラスベガスのカジノから追放、ブラックブックに載り、ネバタ州のカジノに出入りできなくなります。
マイアミビーチではスポーツベッティングのウェブサイトを運営し、2008年10月13日に、79歳で心臓発作で死亡する。
1936年ロサンゼルス生まれ。高校の頃からコンテストに参加、高校を卒業するとオフィスで働きながらもモデルの仕事をします。その後ラスベガスに移り、1960年頃にはウェイトレスやショーガールとして働き始めます。
1969年、フランク・”レフティ”・ローゼンタールと結婚、2人の子供に恵まれます。しかしマギーの飲酒などにより、1970年代は家庭崩壊の状態。アンソニー・スピロトローと親密となり、1981年離婚します。
1982年、46歳、大量の服薬で死亡します。フランクを殺そうとした者によって殺されたか、フランクによって殺されたという説がありましたが、検視官はコカイン、バリウム、ウイスキーの摂取が死因だとします。
1938年生まれ。高校を中退、窃盗を繰り返します。1955年最初の逮捕も窃盗です。
1970年代にはラスベガスのマフィアChicago Outfitの元、フランクの運営していたカジノで働きます。
1976年、スピロトローは、少年時代の友人フランク・カッローッタがリーダーを務める「Wall Gang Hole」の一員となります。「Wall Gang Hole」は外壁や天井を掘削して建物に侵入する窃盗グループです。
1986年、スピロトローと彼の弟のマイケルは土壌に埋められた状態で発見されます。スピロトロはマフィアChicago Outfit のボス、ジョゼフ・アイウッパの代理人でした。1986年、アイウッパに有罪判決が下ります。アイウッパがカジノからの利益をかすめていた事を当局に察知された原因はスピロトローだと疑われたために、撲殺されます。
This post was last modified on 11/03/2019 10:02 AM